観客席から〜第11話〜



第11話 「劇評というもの」

 その芝居が面白いかどうかの判断基準の一つになるのが新聞などの「劇評」である。しかし、最近の新聞の劇評は、芝居の内容の紹介がほとんどで、余り劇評らしい劇評にはお目にかかれない。

 昔の劇評を読むと、相当手厳しいことが書いてあり、劇評家の地位も今より遥かに高かったことがうかがえる。それだけ劇評家も勉強を重ねていたのだろう。イギリスの演劇担当の新聞記者は、シェイクスピアの芝居の科白をすべて覚えているという話もある位、今でも海外の劇評の地位は高い。その評価次第では即座に幕を降ろし、興行を中止しなくてはならないケースもあるほどなのだ。

 日本の劇評はそこまでシビアなものではないが、ある意味では観客の一人一人が立派な劇評家であるとも言える。別に専門的な用語や知識を持っている必要はない。「面白かった」「つまらなかった」「あの俳優が魅力的だった」という、観客の「感想」も、立派な「劇評」に違いない。

 職業的に芝居を観る生活をしていると、時々、普通の人が感じるような新鮮な感覚を失って「ハッ」とすることがある。そういう時には自分を戒め、感性をより鋭敏にして芝居を観ることを心がけている。俳優が舞台の上で真剣に演技をしている以上、それを批評する側も真剣勝負で臨まなければならないのである。

 私は、劇評家という職業を、メッセンジャー・ボーイだと思っている。芝居の魅力を、まだ観ていない人やその芝居の存在を知らない人に知らせる役目を担っていると考える。私の書いた劇評によって、一人でも多くの人が舞台に目を向けてくれればこんなに嬉しいことはない。そう思って、面白い芝居を伝えるべく、劇場通いは続く。

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