芝居の世界には「一声二顔三姿」という言葉が古くから残っている。俳優にとって、「声」とはそれほどに大切なものなのだろう。舞台の上から客席の隅々まではっきりと明朗な科白が届くことは、俳優の第一条件である。多少姿形が悪くても、声が素晴らしければ、それを補うことは充分に可能である。
西洋の古典劇にしても歌舞伎にしても、「科白をうたう」という場面がある。音吐朗々と科白を謳い上げる聞かせどころで、観客はそのエロキューションの見事さに酔い痴れる。俳優にとって「せりふ術」というものがいかに大切かということだ。特に、歌舞伎などでは名科白を思わず口ずさみたくなるような役者がいた。
「声」のいい俳優はたくさんいる。持って生まれたものだから、それも天性の魅力の一つなのだが、平幹二朗の声などは、シェイクスピアなどの作品に適した声であろうと思うし、上條恒彦の声も深みがあって実に素晴らしい。片岡仁左衛門の爽やかなせりふ術は聴いていて気持ちが良い。天は二物を与えることもあるものだ。
最後にエピソードを一つ紹介しよう。演劇人ではないが、大正時代に浅草オペラで一世を風靡したオペラ歌手の田谷力三さんは、89歳で亡くなるまで3オクターブの声域を持っていた。しかし、ふだんは、囁くような優しい話し方である。それが一旦舞台へ立つと、実に艶やかな、伸びのある声になった。ふだんは喉を大切にして小さな声で話すくせがついていたのだろうか。プロ意識を垣間見た瞬間であった。