ご承知の方も多いと思うが、実は「女形」は日本固有のものではない。中国の「京劇」にも女形はいるし、過去の歴史をたどってみれば、シェイクスピアの時代などは女の役を男優が演じていた。しかし、今の日本ほど女形の多い国はないだろう。
日本の女形の代表と言えば歌舞伎だが、それだけではなく、新派、その他にもいる。そして、女形の活躍も目覚しい。美輪明宏をはじめとしてピーターこと池畑慎之介、篠井英介、松井誠など、演劇だけではなく唄の世界でも大活躍の女形は、演劇の世界でも立派な市民権を得て、女性では表現できない妖艶さや優美さを感じさせ、その魅力に取り付かれたファンも多い。事実、彼らが創造する新しい女形は、古典の女形とは違った「現代」という時代性の魅力を持っている。
女形がなぜ女よりも女らしいと言われるのだろうか。それは、女性の仕草や行動を、「男」というフィルターをかけて見た上で客観的に描写するからだろう。だから、生身の「女」ではなく、「女形」という一つの美術品のような美しさが醸し出されるのである。それを人工のものだと言ってしまえばそれまでだが、極限まで研ぎ澄まされた感覚を持っていなくては、男性が女性を演じることはできないだろう。そこにもまた魅力がある。
錦絵のような女形、上村松園や鏑木清方が描く美人画のような女形、現代的な女形、さまざまなタイプがいる。歌舞伎の世界でも、女形に扮するのは舞台の上だけで、舞台が終われば完全に男に戻るタイプと、舞台が終わっても女性のように振舞う「真女形」と二種類に分かれる。今や「真女形」は貴重な存在で、その匂やかな振る舞いは得がたいものがある。
「女形」。異形の姿に身を包んだ妖かしの炎は、夜の闇を照らす蝋燭のように煌いている。