のっけから厳しい言い方で恐縮だが、私は履歴書の趣味欄に「読書」と書く人をあまり信用しない。それはなぜか。地球の生物の中で、字の読み書きができるのは人間だけである。となれば、読書は「趣味」ではなく読み書きができる人間に与えられた「義務」だ、と思うからだ。確か、同じような内容のことをプロレスラーのジャイアント馬場氏がおっしゃっておられたように思う。彼の読書量の多さはつとに有名でもあった。
読書が「義務」だからと言って、何もしゃちほこばって本を読む必要はない。好きな本を好きな時に読めばいいのである。若者の活字離れや今の文学界の状況について云々するつもりはないが、とにかく読書は楽しい。「義務」を超えて「特権」ではないかとも思える。もっとも、そんなことが言えるのは今この時だからであって、昔は読み書きの満足でない人も多かった。自慢ではないが、私の祖母は九十三歳になるがほとんど字は書けない。「無筆」というのは今となっては希少価値だが、別な意味での「無筆」は掃いて捨てるほどいる。
芝居を観る楽しさと読書の楽しさは、言い換えれば三次元と二次元の違い、とでも言おうか。舞台が三次元で読書が二次元。ところが、この二次元があながち馬鹿にできない。わずか数百円の文庫で、戯曲を一冊買う。それを読みながら、自分の頭の中でイメージングをするのだ。「あの役は誰がいい。これはあの人」。「舞台の状況はこんな感じで、装置は…」そして、それを頭の中で動かし、科白を言わせる。想像、と言えばそれまでだが、これであなたも立派な演出家になれる。こんなに安くて面白い楽しみを放擲するなんて、何ともったいないことだろうか。