お盆が近いから宗教の話を持ち出すわけではない。友人から、面白いことを聞いた。彼女曰く、「歌舞伎のお念仏って、みんな『南無阿弥陀仏』って言うでしょ。でも、格好はその宗派の格好だったりするのよね」。なるほど、言われるまで気が付かなかったが、歌舞伎でのお念仏はほとんど「南無阿弥陀仏」である。「鈴ヶ森」などは舞台装置の石塔に「南無妙法蓮華経」の髭題目が刻まれているが、そういうのは少ないかも知れない。別に歌舞伎がほとんど浄土真宗というわけでもないだろうが、面白いと思った。
要するに、科白の「音」の問題だろう。「南無阿弥陀仏」ならば七文字で歌舞伎の科白の七五調に響きが合うが、他の宗派はそうはいかない。この辺り、日本人の宗教に関するフレキシブルな感覚を感じる。年末には俄かクリスチャンになってクリスマスを祝った一週間後に、神妙な顔で初詣をしているという国民性は、どうやら今始まったことではないようだ。
「小言幸兵衛」という落語で、この辺りの疑問を解決してくれている。「覚悟は良いか、南無阿弥陀仏」。科白になる。他の言葉ではしっくり来ないのは事実だ。決して宗教を馬鹿にしているわけではなく、日本ではこういう根付き方もあったのか、ということを発見した次第。
間もなくお盆である。八月の歌舞伎座も納涼狂言で「四谷怪談」だと言う。今年の夏も暑そうだ。