十月辺りになると、十一月の酉の市が気になり出す。今年は三の酉まであるから火事が多い、だの毎年同じようなことを言っているが、そろそろ年の瀬へ向かって行く慌しさを感じるのも事実だ。
先日、二の酉へ出かけてきた。私は子供時分から新宿の花園神社と決まっていて、オヤジに連れられて通っていた頃からもう35年にはなろうか。酉の市だけは、どんなに忙しくとも欠かしたことがない。これが終わると、一年のあらかたを無事に過ごせたような、何かしらほっとした気持ちになるから不思議だ。家が商売屋だった関係で、東京っ子のオヤジがゲンをかついでいたのだろう。それが、オヤジを亡くした今でも染み付いている。
今年は日曜日で七五三に近かったせいか、花園神社も昔日の面影を残す賑わいを見せていた。お参りをすませて熊手を奉納し、いつもの店で新しい熊手を買う。若い衆に景気づけをしてもらって、その後に人並みにもまれながら必ず寄るのが「かるめ焼き」と「見世物小屋」。いずれも懐かしい風物だが、見世物小屋はいまや全国で一軒しかないそうだ。今年の出し物は蛇女だったが、口上の巧さにつられてつい木戸をくぐってしまう。中身は見てのお楽しみだ。さすがに「九尺二間の大鼬」はいなかったが。
どういうわけか、酉の市、と言うと久保田万太郎を想い出す。かつての東京の風物や言葉にこだわり続けた作家だからだろうか。今は久保田作品が取り上げられる機会も少なくなった。時代の移り変わり、なのかも知れないが、何となく寂しい想いもする。その一方で、酉の市に若い家族連れやカップルが多く見られたのも嬉しかった。日本人の心、なのだろうか。