「なげかひの詩人」と言われた人である。傘雨という俳人であり、小説家でもあり、劇作家でもあり、樋口一葉などの見事な脚色も遺している。江戸っ子で照れ屋だもんだからしばしば誤解も受けたが、文化勲章という栄誉を受け、日本の演劇界に大きな足跡を残した一人だ。
しかし、今、久保田万太郎の芝居を観られる機会が少ない。まず大方の人は彼を知らないだろう。知っていても、「古臭い」と言うだろう。そして「難しい」と。何が難しいのかと言うと、この人の芝居には「間」や「…」が多い。これは決して無意味なものではなく、むしろ意味の大きいものだけにその表現が難しいのだ。そして、科白が昔の東京の言葉で書いてある。あまりの変容の激しさに、今や死語となってしまった言葉が多く含まれている。そして科白のアクセントを重要視する芝居、言葉の美しさにこだわった芝居だから、俳優にとっては非常に難しいのだ。その一方では挑戦のし甲斐のある作品でもある。事実、俳優の科白の訓練に使っている劇団もあったほどだ。
久保田万太郎(久保万と略す人も多いが)の芝居のテーマは、決して難しいものではない。少し前の時代の市井に懸命に生きていた人々の生活や人情を、彼独特の含羞を含んで描いたものだ。こんな時代だからこそ、こういう芝居が観たいと思う。久保万の世界の良さを知り、魅せられた役者たちが、劇団を超えて、手弁当で毎年一回三月に品川の六行会ホールで小さな公演を打っている。それが今年で八回目になる。こういう公演を続けていくのは想像以上に難しいことなのだが、それでも久保万の世界やその匂いを思い出させてくれるという気持ちが嬉しい。その心意気が嬉しい。「貧者の一灯」と言ったらメンバーに叱られるが、今の演劇界の小さな良心であることに間違いはない。
昭和38年5月6日、画家の梅原龍三郎邸で会食中に不慮の死を遂げた。命日を俳句の季語で「傘雨忌」と言う。